声をあげる者が批判されることがある。 それ自体、悲しいことだが、最近ではそれに加えて、声をあげない者までもが糾弾の対象となっている。 「沈黙は加担だ」と言われるとき、その言葉の正しさに頷きつつも、どこか釈然としないものが残るのはなぜだろう。 結局のところ、声をあげることとあげないことのどちらも、“誤り”とされうるのだとしたら、私たちはどこに立てばいいのか。
何かを変えようとする意思は、いつも声として表出するとは限らない。 語らないこと、動くこと、待つこと、関わらないことで関わること―― 世界を少しでも良くしようとする試みは、必ずしも目に見える形をとるわけではない。 それなのに、いまこの社会では「声をあげる」という形式のみが、 あたかも唯一の倫理的行為であるかのように語られてはいないか。
私はその単調さに、ある種の息苦しさを覚える。 そして同時に、声をあげないことを選んだ人々の中にも、状況を変える力を持つ者たちが確かに存在するという事実を、忘れてはならないと思うのだ。
では、そのままの論考トーンで第二章(背景と理論枠組み:声をあげることの思想的意味)に進めてみるね。アーレントとスピヴァクを軸にしつつ、歴史的な視野と現代のズレを対比させる構成にする:
声は行為か――「語ること」が正義となった背景
公共性と行為の結びつきを最も鮮やかに語った思想家の一人に、ハンナ・アーレントがいる。 彼女は『人間の条件』のなかで、「人間の行為(アクション)」は言葉とともにあるとし、語られることで初めて行為は歴史となると述べた。 つまり、語ること、そして他者と共に語り合うことこそが政治の根幹であり、沈黙のうちにあるものは歴史から零れ落ちるという考えだ。
この視点は、たしかに人間の尊厳や主体性を考えるうえで力強い。 沈黙は支配の構造にとって都合が良く、語ることには抵抗と解放の可能性がある。 20世紀の数多の社会運動が「語ること」への奪還から始まったことを思えば、 アーレントの主張は、確かに時代を支える思想だった。
しかし、それでもなお私は問いたい。 語ることができない者、語る自由を持たない者、あるいは語るという形式を選ばない者たちは、果たして歴史の傍観者なのだろうか。
ガヤトリ・スピヴァクの問いかけは、この問いの核心を突いている。 「サバルタンは語ることができるか?」―― 彼女は、周縁化された人々の声は、しばしば主流の言説構造のなかで翻訳不可能であり、 たとえ語られたとしても、それが“理解される”とは限らないと指摘する。
つまり、「声をあげよ」という要請そのものが、すでにある種の“語り方”を前提にしており、 そのフォーマットに乗れない者たちを、無意識に排除しているのではないか。 そうだとすれば、現代の「声をあげないことは加担である」という論調もまた、 別の形式の抑圧になりうるのではないだろうか。
声をあげなかった者たちの歴史
歴史を振り返れば、声をあげず、旗も掲げず、静かに状況を変えていった人々の痕跡が、確かに存在している。
たとえば、第二次世界大戦中、ナチスの迫害からユダヤ人を匿った無数の市民たち。 彼らの多くは政治的な声明を発することも、連帯のスローガンを掲げることもなかった。 ただ「黙って隠す」という行為によって、命を救った。 それは、**「語らないことを選んだ抵抗」**であり、静かに生の可能性をつないでいたのだ。
また、南アフリカのアパルトヘイト時代にも、制度に明確に反対することなく、 雇用や住居の面で黒人市民を守り続けた白人の雇用主や店主がいた。 彼らは声をあげなかったが、制度に裂け目をつくるような形で、人々の尊厳を守った。
近年では、「Quiet Activism(静かな実践)」という言葉が、特に女性やマイノリティの実践として注目されている。 この言葉は、抗議デモや声明といった“見える行動”ではなく、日常的なケアや支援、 例えば家庭内での話し合いや、周囲の偏見をそっと是正するような働きかけまでを、 政治的な行為として再評価しようとするものである。
それは“何もしない”のではなく、“声をあげる”という形式に依らずして、 他者に手を伸ばす方法のあり方である。
そして私たちは、そのような声なき行為があったからこそ、 いま目にしている自由や選択肢が生まれたことを、もっと思い出すべきではないかと思う。 行為は語られなくても、歴史を動かす力を持つ。 むしろ、語られなかったがゆえに、その行為は透明になってしまった。 その透明な行為の記憶を、もう一度書き起こすこと。 それもまた、“声をあげる”とは異なる、政治的な営為なのではないか。
輸入された正義と日本の息苦しさ
「沈黙は加担だ(Silence is complicity)」という言葉が、日本のSNS空間でもよく見られるようになったのは、近年の国際的な社会運動の影響が大きい。 Black Lives Matter や MeToo、LGBTQ+ の権利運動など、声をあげることによって不正義を可視化し、構造を揺るがすようなムーブメントが、 日本の進歩的な層にも大きな影響を与えたのは間違いない。
しかし、この「声をあげること=倫理的である」という言説が、そのまま日本社会に当てはまるかといえば、答えはやはり複雑だ。 日本には、あからさまな主張よりも「察する」ことや「黙って行動する」ことを美徳とする文化的背景がある。 それは単なる“同調圧力”ではなく、ときに繊細な配慮であり、暴力的な物言いを避けるための手段でもあった。
だが、「声をあげなければ共犯者だ」とするこの輸入された倫理観は、 そうした文脈を無視して導入されてしまったように思える。 結果として、声をあげることのできる人たちが、あげられない人を裁く構図が生まれた。
たとえば、ある社会問題について何も発言していない著名人に対して、 「なぜ黙っているのか」「お前も加担している」と糾弾が集中する光景は珍しくない。 そこには、声をあげる人々が“正しさ”を独占することで、 自分たち以外を倫理的に劣位に置いてしまうという、別の暴力が潜んでいる。
そして、この構図がときに日本特有の“内輪的な同調圧力”と結びつくことで、 もともとの「声をあげる勇気を称える」理念は、 「正義を名乗る者が他者を押しつぶす」装置へと変質してしまう。 輸入された“正しさ”が、輸入されたままの形で使われるとき、 それはむしろ、誰も自由に語れない空気を作り出してしまうのだ。
語られなかった行為を、後からでも語るために
声をあげない人は、ただ沈黙していたわけではない。 歴史を紐解けば、表舞台に立つことなく、裏方として状況を少しずつ変えていった者たちの営みが、いくつも浮かび上がる。
たとえば、戦時中に情報検閲の裏で記者仲間を守り、失踪者の名を紙面に忍ばせ続けた新聞編集者。 明治期の女学校において、公に反抗せずとも、教育の中で女性の権利を伝えていった教師たち。 敗戦直後、声高に戦争責任を追及することなく、静かに占領軍との交渉を重ね、日本の文化と自治を守ろうとした官僚たち。
彼らの行為は、記録には残りにくい。 声なきままに行われた実践は、目に見える“正義”の影に隠れて、長く語られることがなかった。 だが、彼らのような“語られなかった行為”が積み重なってこそ、社会は少しずつ変わってきたのだ。
こうしたスタイルの実践は、実のところ、日本社会にある種の適性があるのではないかとも思う。 目立つことを避け、和を尊び、他者の領域を慎重に侵さないという美徳。 それはしばしば「同調圧力」として揶揄されるが、裏を返せば、控えめなかたちでの連帯や配慮の文化でもある。
ならば、私たちは「声をあげないことで、状況をよくする」という実践を、 もっと自信を持って再評価してもいいのではないか。
今の社会には、多くの人が疲れている。 疲れながらも、誰かを助け、折り合いをつけ、食事をつくり、未来を想像している。 そういう日々の小さな行為が、声にはならなくても確かに社会を動かしているということを、 もう一度言葉にしてみたい。
“声をあげない”ことは、逃げではない。 それは、別のかたちで責任を引き受ける方法でもある。 私たちは、語られた正義だけでなく、語られなかった行為の価値をも受け継いでいける社会であってほしいと願っている。