たまたまシンガポールに世界水泳を観に行くことになった。
会場から一番近いという理由だけで予約したホテル「TRAVELTINE」。
チェックインしてすぐに目に入ったのは、その隣にある謎めいたドープなビルだった。
夜ごはんを探してGoogleマップを開くと、そのビルに「GOLDEN MILE TOWER」と表示されていた。
興味本位で入ってみると、そこはまるでシャッター街のブロードウェイを迷路化したような異様な空間。
いくつも両替所が並んでいて、「ここ、競争率高そうだしレートも良いかも」と思い、あとでまた来るつもりでその場を離れた。
しかし──再訪しようとしたとき、あの両替所のエリアが見つからなかった。
何軒も集まっていたはずなのに、ビルの構造があまりに複雑で、辿り着けない。
結局、入口近くの一番分かりやすい両替所で済ませた。少し高かった気がするが、仕方ない。
後日、このビルには「THE PROJECTOR」という映画館があると知った。
あのビルに映画館? 5階にあるらしいと聞き、向かってみたが、やはり迷ってしまう。
ようやくエレベーターに乗った先にあったのは──駐車場だった。
真っ暗な駐車場の片隅に、なぜか供え物が置かれている。
夜景はホテルからよりずっと綺麗で、水たまりに映る光は幻想的だったが、空気は妙に重い。
そこは映画館の裏口らしく、「THE PROJECTOR」のグラフィティアートが壁に描かれていた。
一方で、ただの落書きも散見され、落書きが厳しく禁じられているはずのシンガポールで、こうして放置されていること自体が異常に思えた。
夜の湿った空気のせいか、私の中では犯罪的な匂いよりも「出そう」な心霊的な怖さが勝ち、深追いせず引き返した。
おそらくそのせいで、大事なものを見逃していた。
後日、親にこの話をして「一緒に行こう」と言ってついてきてもらった。
……というより、正直ひとりでは怖かったので無理やり付き合わせた。
そして再び駐車場に入ったとき、親が指摘した。
「ねえ、日本車ばっかりじゃない? しかも全部ナンバーがないよ……」
確かに、駐車場に止まっていた車群は、日本製の高級ミニバン(アルファードやオデッセイのような)」であり、どれもナンバープレートが外されていた。
その瞬間、空気が一変した。
心霊よりもずっとリアルな危機感──ホラーだと思っていたら、クライムサスペンスの入口だった。
私たちはそそくさとその場を後にした。
このビルは何者か
あの夜に見た「Golden Mile Tower」は、偶然の産物でも、ただの古びた雑居ビルでもなかった。
調べてみると、それはシンガポールのBeach Road沿いに並び立つ二つの建物──Golden Mile ComplexとGolden Mile Tower──の片割れだった。隣り合って建つが、その存在感と扱われ方はまるで違う。
Golden Mile Complexのほうは有名だ。1973年、シンガポール初の大規模複合施設として誕生し、今ではブルータリズム建築の代表格として建築家や写真家の巡礼地になっている。吹き抜けを備えた商業フロアや、移民によって形成された「Little Thailand」の文化圏は観光的な物語として消費され、何度も記事や映像に切り取られてきた。2021年には国家による保存指定を受け、再開発計画と文化遺産の両立が進められている。
一方、Golden Mile Towerは、ほとんど語られてこなかった。
外観は質素で、記念碑的な建築評価もほぼない。複合施設というより、オフィス・商業・娯楽施設がぎゅっと押し込まれた「実務的な箱」だ。
しかし中に入れば、タイ料理店、カラオケ、占い所、夜行バスの発着カウンター──どれも観光パンフレットには載らない、移民や労働者の生活インフラが詰まっている。
1970年代、シンガポールは急速な都市開発のただ中にあり、この一帯も「近代的で便利な都市生活」を象徴するモデル地区として売り出された。だが富裕層向けのマーケティングは思ったほど成功せず、やがて安価な賃料と国際バスターミナル的な立地を求めて、外国人労働者や移民が集まり始めた。その流れはComplexにもTowerにも及び、建物は徐々に“別の使われ方”をしながら生き延びてきた。
そしてもうひとつ、この建物を説明する上で外せないのが周辺環境だ。
Golden Mile Towerは、観光客で賑わうHaji Laneやアラブ・ストリート、そしてサルタン・モスクのあるカンポングラム地区から徒歩圏内にある。表通りはブティックホテルやカフェ、アート系ショップで彩られ、Airbnbでも高値がつく一等地だ。そこからほんの数分で、Towerの入り組んだ暗がりに迷い込み、現実の密度がガラリと変わる。この急激なコントラストこそ、不動産的にも都市文化的にも稀有な魅力であり、同時に摩擦を生む要因でもある。
私があの駐車場で感じた得体の知れなさ──それは、この建物が長年にわたり都市の表と裏を吸い込み、吐き出してきた証かもしれない。そしてその“裏”は、観光地の光からわずか数分の距離にある。
リトル・タイランドの誕生と衰退
Golden Mile ComplexとTowerを語るとき、避けて通れないのが「Little Thailand」という呼び名だ。
1970〜80年代、シンガポールの経済成長は建設ラッシュと共にあり、その労働力を支えたのは国外からの出稼ぎ労働者だった。中でもタイからの移民は多く、港や工事現場に近く、家賃も比較的安かったこのビーチロード沿いの二棟は、自然と彼らの生活拠点になっていった。
やがて飲食店、カラオケバー、食材店、旅行代理店、タイ語の看板が軒を連ね、週末にはタイの音楽や香辛料の匂いが建物全体を包み込んだ。
ここはタイ人にとって“遠い異国の中のホーム”であり、シンガポール人や旅行者にとっては“別の国に迷い込んだ”ような異文化体験の場でもあった。
私もGolden Mile Towerの中で、その片鱗を味わった。
親と一緒に立ち寄ったタイ料理屋で、「辛さは控えめで」と念を押して注文したのに、出てきた料理は一口で頭が痺れるほどの辛さだった。あまりの刺激に「辛すぎて食えねえ!」とギブアップしたら、店員はきょとんとした表情で「そんな辛くしたつもりはないが……」と言う。
親も私も辛いものには自信がある方だが、この店の“控えめ”は現地基準であって、我々の舌の想定とはまったく別の物差しだった。異国の文化は、こうして胃袋からも襲ってくる。
しかし、このような密度の高いコミュニティは拡大しなかった。
1990年代後半から2000年代にかけて、タイ本国が急速に経済成長を遂げ、長期滞在していた労働者の多くが帰国。かつての賑わいは薄れ、残されたのは建物と、一部の商店と、使われなくなった空間だった。タイ料理店や食材店は残っても、“街ごとタイ”の熱量は消えていった。
こうしてComplexとTowerのイメージは変化した。
活気ある異文化拠点から、老朽化と空室が目立つ「治安の悪いエリア」へ──。管理が徹底されたシンガポールにおいて、こうした“公式の想定外”の場所は再開発の対象になりやすく、Golden Mile Complexが保存と再開発の狭間で話題になる一方、Towerはほとんど注目されないまま時を重ねた。
それでも、この空間がもたらした文化的インパクトは小さくない。
日本の映画や写真集、海外メディアのドキュメンタリーにも断片的に登場し、その雑多さや匿名性は「アジア的カオス」の象徴として描かれてきた。
再開発と保存のはざまで
2021年、Golden Mile Complexはシンガポールで初めて「大規模ストラタ物件」の保存対象に指定された。外観のブルータリズム建築と内部構造を可能な限り残しつつ、商業施設やオフィス、住宅として再活用するというのが基本方針だ。URA(都市再開発庁)は、開発業者に対して容積率の上限緩和や税制優遇を提示し、再開発コストの負担を軽減させている。つまり、建物を守るために「経済的ご褒美」を用意するやり方だ。保存と利益確保を同時に実現しようとするこの設計は、徹底した都市計画国家であるシンガポールらしい。
再開発後のComplexは、低層部分が商業・飲食テナントに改装され、上層階は高級レジデンスやオフィスに転用される予定だ。外観は往年の黄金色と斜めのバルコニーラインを残しつつ、内部は現代的な設備に置き換えられる。かつての雑多な店舗や移民労働者のための格安バスチケット売り場は姿を消し、代わりに洗練されたブティックやカフェが入居するだろう。これは保存というより「再解釈」に近い。
隣のGolden Mile Towerは、Complexのように全体保存の対象にはなっていない。公式評価は低く、建築的な希少価値も乏しいとされている。それでも旧「Golden Theatre」(現THE PROJECTOR)だけは保存対象に含められ、残すことを条件に開発業者にはボーナス床面積が与えられる。つまりTowerは、映画館部分だけが記憶として残り、その他の空間──暗い駐車場や雑居的な廊下、タイ料理店や小さな店舗群──は取り壊される可能性が高い。それらが生み出していた空気感やコミュニティは、おそらく再開発後には再現されないだろう。
こうした部分的な保存は、シンガポールの国の成り立ちとも深く関係している。建国からまだ60年余りの若い国家にとって、「歴史的建造物」とは自然に積み重なった遺産ではなく、政策によって選び取られた記憶だ。多民族国家としてのアイデンティティ形成のため、政府は特定の時代や文化を象徴する建物を意図的に保存し、“国の歴史”として物語化する。その一方で、選ばれなかった場所や記憶は急速に消えていく。
これはシンガポール特有の事情ではない。アメリカもまた、独立からまだ250年足らずの比較的若い国家であり、歴史的遺産の多くは「保存すべき」と宣言された瞬間に価値を帯びる。自由の女神やエリス島の移民局舎は、移民国家としての物語を形作るために意識的に残された象徴だ。一方で、同じ時代に存在したが語られなかった場所──移民のバラックや労働者街──はほとんど残らず、記憶からも抜け落ちた。
Golden Mile ComplexとTowerの現在は、この構造を見事に反映している。何を残し、何を忘れるのかを決めるのは、市場でも住民でもなく、政策の意志だ。そしてその線引きは、都市の記憶の輪郭を塗り替える。再開発の図面の外に置かれた空間こそが、もっとも多くの物語を抱えている──そう考えると、Towerの暗がりが、いっそう濃く見えてくる。
(デベロッパーによる再開発後のシミュレーション動画)
制度に隣接し超える“フロンティア”
Golden Mile Complexが国家に選ばれ、保存と再開発の計画の下で整えられていく一方、そのすぐ隣のGolden Mile Towerは、制度の光がほとんど届かない。 きらびやかに磨かれていく“遺産”の壁の向こうで、別の時間が進んでいる。その並び立つ姿は、同じ都市のはずなのに、まるで異なる次元が隣接しているかのようだ。夜の薄暗い駐車場に黒い日本車が並び、ほとんどの車にナンバープレートがない。壁には意味不明の落書きがそのまま残され、片隅には果物や線香の供え物が置かれている。どれもシンガポールでは異質な光景で、この小さな空間だけが“制度の外”にあるように感じられた。国家の監視網の中で、この小さな場所だけが“見て見ぬふり”されているような気配がある。 この塔は、マレー半島を縦断する長距離バスの発着点でもある。ここから出るバスはマレーシアのジョホールバルやクアラルンプール、さらに北へ行けばペナン、タイのハートヤイやバンコクにまで通じている。所要時間はジョホールバルなら1時間足らず、クアラルンプールまででも6〜7時間程度だ。空路より格段に安く、深夜便も多い。建物の中には複数の旅行代理店カウンターが並び、夜ごと旅人や労働者が荷物を抱えて集まる。 シンガポールは厳格な法律と徹底した管理で知られるが、隣国との距離は驚くほど近い。国境を陸路で越えるのは容易で、マレーシアに入れば規制のゆるさや監視の薄さは一変する。もちろん、それが即座に犯罪の温床になるわけではないが、物理的・制度的な境界が近いことは、都市の周縁に独特の“グレー”を生む。Golden Mile Towerの夜の空気には、その境界線の匂いが濃く漂っていた。再開発の図面に描かれた未来と、制度の外にある現在とが、危うくも隣り合う境界線だ。ここでは、現実がフィクションを超える。
皮肉なのは、このエリアの名前そのものだ。
「Golden Mile」という呼び名は、1970年代に政府がこのビーチロード沿いを“都市再開発の象徴”として売り出したときのキャッチコピーから来ている。
港からシティへ続く1マイルを、高層ホテルや複合施設が立ち並ぶ“黄金の一マイル”として描き、近代化と富の象徴にしようとした。
だが、現実には高級化は長続きせず、やがて外国人労働者や移民、安価な商店や長距離バスが集まる雑多な一帯へと変貌していった。
制度が理想とした都市像と、人の流入がつくった現実は、真逆の方向に進んだのだ。
都市は常に変わる。それは不可避であり、再開発はその象徴だ。
だが、何を残し、何を消すかを決めるのは市場でも市民でもなく、しばしば政策の意志だ。残すべき価値は建築的意匠や経済性だけでは測れないはずだが、現実にはそこが基準になる。その結果、生活の痕跡や制度の外で息づく文化は、真っ先に切り落とされていく。都市は誰のものか──その答えは簡単ではない。
けれど、再開発のきらびやかな完成図の裏に、消えゆく今の姿を記録することが、せめてもの抵抗になると信じている。
そして、Golden Mile Complexの再開発が完了する予定の2029年、私は再びこの地に立つだろう。
そのとき、この“黄金の一マイル”は、果たしてどんな顔をしているのか──制度が作り替えた未来を、自分の目で確かめに行くつもりだ。