ある日の新宿、大久保のバクテー屋へ
新宿を歩いていたら、なんとなく、あの店にまた行きたくなった。少し遠回りだけど、大久保のほうまで足をのばす。前に食べたバクテーが、なぜかずっと印象に残っていて、ふと思い出すような味だったから。こういうのは、たぶん、似たものがあっても「ここでしか食べられない」って感覚があるからだと思う。
店に着くと、湯気とともに漂ってくる香りにすでにやられる。スープは思ったより優しくて、それでもしっかりと身体に入ってくる感じがある。とくに炊き込みご飯がうまくて、カオマンガイっぽい風味があって、気づいたらおかわりしてた。揚げパンは、正直どう食べるのが正解かわからなかったけど、スープに浸してみたり、そのままかじってみたり。どれも悪くなかった。
南洋叔叔肉骨茶(ナンヨウシュクシュ バクテー)
東京都新宿区百人町1丁目11-29 ARSビル1F
新大久保駅 徒歩2分/7:00〜22:00・無休
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バクテーってなんだ?地域差や揺らぎ
バクテー(肉骨茶)は、豚の骨付き肉を漢方薬材や香辛料とともに長時間煮込んだスープ料理だ。「肉骨茶」と書いて「バクテー」と読むが、実際にお茶が入っているわけではない。語源には諸説あるが、濃厚な豚の脂肪分を洗い流すために中国茶と一緒に飲まれていたことから「茶(テー)」の字がついたと言われている。色の濃いスープを「茶」に見立てたという説もある。
この料理の起源は19世紀の英領マラヤ、現在のマレーシアに遡る。当時、福建省などから渡ってきた中国系移民、特に鉱山や港で働く労働者たちが、スタミナ源として考案したのが始まりとされている。安価で手に入る豚の骨付き肉と、生薬として使われる漢方の材料を煮込んで、体を温めるための朝ごはんとして親しまれていた。
使われるスパイスは店や地域によって異なるが、主なものとして以下のような薬材がある:八角、シナモン、クローブ(丁子)、高麗人参、当帰(アンジェリカ)、甘草(カンゾウ)、にんにく、胡椒など。福建系のスタイルでは、これらの生薬と濃口醤油を用いて黒く深い味わいのスープに仕上げる。一方、潮州系(主にシンガポールに多い)では、にんにくと白胡椒を主体にした澄んだスープが好まれる。
マレーシアでは福建スタイルが主流で、たとえばクラン地方では「A1」などのブランドスパイスを使った骨太な味のバクテーが日常的に食べられている。土鍋に湯葉や内臓を加えたスタイルや、干しエビとタロイモで炊いた「ヤムライス」と一緒に食べる提供スタイルも人気がある。さらにスープを煮詰めて濃厚なタレ状にした「ドライ・バクテー」という派生料理もある。
シンガポールの潮州系バクテーは、よりシンプルでスパイシーな印象。白胡椒と豚骨の出汁の旨味が中心で、朝食だけでなく深夜の軽食にも選ばれる。スープは飲み放題というスタイルの店もあり、ポットで継ぎ足されるスープを味わいながら、唐辛子醤油ダレで肉を食べる。こちらも中国茶と一緒に供されることが多い。
こうしたバリエーションは、中国本土や台湾に逆輸入され、今では「漢方スープ」「健康食」として都市部を中心に親しまれている。台湾ではバクテー用のスパイスパックがスーパーで普通に売られており、家庭でも手軽に調理される。文化的な位置づけは“日常食”ではなく、“ちょっと滋養が必要なときのごちそう”といったところかもしれない。
つまり、バクテーとは「身体を労わるスープ」であり、「文化を煮込んだ鍋」でもある。豚肉の脂と薬草の香り、華人の移動と労働の歴史、そして今を生きるわたしたちの胃袋までを、一本の湯気がゆるやかに繋いでいる。福建系の華人移民が、肉と骨を薬膳スープで煮込み、もともとはマレー半島に渡った労働者たちが、体を温め、精をつけるためのスタミナ食。
なるほど、あの味にはちゃんとした“由来”がある。私が感じた「ここでしか食べられない感覚」は、土地に根ざした食文化の記憶だったのかもしれない。大久保で食べたあの一杯には、謎にレタスが浮かんでいた。これは福建でもあまり見ないらしい。揚げパン(油条)を添えるのは一般的らしいけれど、炊き込みご飯──ヤムライスに近いそれ──も、店ごとの創意工夫のようだ。
逆輸入される文化、記憶
中国や台湾では、バクテーは“逆輸入”されている。もともとはなかったものが、今では薬膳スープの一種として再解釈されているのが面白い。台湾では市販のスパイスパックまで売られているらしい。健康志向の料理として、土地を越えて広がっている。
私は以前マレーシアに行ったことがあるけど、そのときはナシレマやインドネシア系のものを食べていて、バクテーは食べなかった。でも、今になってあのスープの奥に、その土地の湿度や匂い、宗教と経済と歴史がにじんでいる気がする。
食の混淆と、生き延びるための知恵
マレーシアは、中華系、マレー系、インド系の文化が混ざり合う土地だ。イスラム、仏教、ヒンドゥー教が隣り合い、モスクと中華系の市場が同じ通りに並ぶ。食文化にはその混交が色濃く表れている。豚肉を主とするバクテーは、当然ながらマレー系(イスラム教徒)には馴染まないが、代替として「チキン・バクテー」や「ベジタリアン・バクテー」なども登場している。これは宗教的制約と食の欲望との折衷として、土地の知恵が生んだ変奏と言える。
また、マレーシアにおけるバクテーは、上述の通り、移民たちが“労働に向き合うためのスープ”として身体を立て直す食事だった。単なるスタミナ食ではなく、気候や労働環境に応じた体のチューニングという側面があったように思える。だからこそ「薬膳」と「味覚」が融合する料理になったのではないか。
このような文化と宗教の接点で調整されていく料理こそ、マレーシアの食文化の面白さであり、日々の「生き延びるための知恵」としての食が見えてくる。バクテーは「精をつけるための食事」というコンセプトを軸に、時代とともにその形を変え、受け入れられてきた。
中国・台湾の再解釈
中国や台湾では、バクテーはもともと伝統的な料理ではなかったが、近年では“逆輸入”され、薬膳料理や滋養スープとして受容されつつある。特に台湾では、スーパーに行けばバクテー用のスパイスパックが並んでおり、手軽に家庭で楽しめる。台湾人にとっては“異国の漢方スープ”という位置づけで、寒い季節や体力をつけたい時期に選ばれる料理だ。
中国本土では、福建省や潮州出身者をルーツに持つ人々を中心に、南方都市で人気が高まっている。上海などの都市部では、マレーシアやシンガポール式の専門店も増えており、現地の「ヘルシー食」として注目を集めている。特に「スープを主とした食事」文化が強い中国南部では、豚骨ベースの薬膳スープとして自然に受け入れられているようだ。
本来なかった料理が、“華人の外部で育った文化”として逆に再評価される。この構造も、移民文化と食の連続性を考えるうえで非常に興味深い。バクテーは単なる料理ではなく、“帰還する食の記憶”でもあるかもしれない。
また歩いて、また煮込む
思い返せば、あのとき食べたバクテーには、スープの中にレタスが浮かんでいた。どこかで見たような、けれどどこにもないような様式。炊き込みご飯はカオマンガイを思わせる風味で、気づいたらおかわりしていた。揚げパンは、スープにひたすのが正解かはわからなかったけれど、どれも悪くなかった。
たぶんまた、違う店にも行ってみると思う。味の違いを確かめたくなるだろうし、自分でも作ってみたくなるだろう。スパイスの香り、身体に沁みるスープ、思い出せないけど忘れたくないあの味、移動先でも影響を受けて更新されていく食文化は改めて非常に興味深いように思う。