『邪教団地 嗤う隣人たち』(2024)は、キム・ソングク監督・脚本による韓国のホラー・スリラー映画。
舞台は、再開発が進む釜山郊外の古い集合住宅「ウォンジョンヴィラ」。警備員として働きながら不動産の国家資格取得を目指す青年ジュヒョンは、騒音や駐車場をめぐって対立する上階の住人シネに、嫌がらせのつもりで新興宗教のチラシを投函する。ところがシネは本当に入信してしまい、ほかの住民たちも次々と教団に取り込まれていく。やがて集合住宅全体が異様な宗教的共同体へと変貌していくという物語だ。
劇中に「団地の福音化」というパワーフレーズが登場し、思わず爆笑してしまった。
古い集合住宅の住民を次々と宗教的に洗脳し、登記関係書類を提出させ、所有権を教団へ移転させようとする。要するに、信仰を利用した地上げである。しかも再開発事業の組合長まで教団の信者だったというのだから、なかなか生々しく巧妙な設定であった。。
主人公が引っ越し住んだのは開発が進む都市のなかに取り残された古い「ヴィラ」。韓国でヴィラとは、一般に低層の小規模集合住宅を指す。日本でいう低層マンションに近く、各住戸が区分所有されるものもある。高層アパート群と低層ヴィラが隣接する風景は、どこか近未来的でディストピア的ですらある。都市開発によって生じた時間の断絶が、そのまま景観になっているようだった。
ヴィラは高層マンションに比べて生活動線が重なりやすく、住民同士の距離も近い。騒音や駐車場のトラブルから始まる物語は、やがて共同体全体を巻き込んでいく。一人、また一人と住民が入信し、オセロの盤面のように多数派が反転していく。気づけば、信仰を拒む主人公の方が異端者になっている。
不動産の視点から興味深いのは、個々の所有者の意思決定が、宗教的な帰依によって掌握されていくことだ。再開発には多数の権利者による合意形成が必要となるが、教団はその意思そのものを支配しようとする。もちろん、登記書類を集めるだけで所有権が移転するわけではない。しかし、自らの財産を差し出すよう人間の判断を変えてしまえば、法制度が保障する所有権も危うくなる。
実は、私自身にもこれに少し通じる経験がある。
かつて某所で祖母が運営していたアパートが、都市開発や計画道路建設に伴う立ち退きの問題に直面した。私たち自身はそこに住んでいなかったが、行政の担当者から「あなたたち以外はもう立ち退いている」と、恣意的に撮影された周辺の写真まで見せられた。そうした圧力のなかで慌てて判断し、結局は立ち退くことになった。
もちろん、行政による都市開発とカルト宗教を同一視するつもりはない。しかし、「ほかの人はもう同意している」という事実が、個人の判断に与える心理的な圧力は相当なものだ。自分だけが取り残されていると感じると、本来検討すべき権利や条件よりも、周囲に合わせることを優先してしまう。
多数派の判断が、いつの間にか正しさの根拠になってしまう。この集団心理には、ある種の宗教性すら感じる。
そして皮肉なのは、映画のラストで、カルトから解放された住民たちが今度は再開発の決定に歓喜することだ。宗教的な救済と、不動産価値の上昇という経済的な救済。両者は異なるものだが、より良い未来への期待が人々を集団的な熱狂へ向かわせるという点では、奇妙に重なって見える。
主人公が韓国の宅建士に相当する「公認仲介士」の資格取得を目指しているのも象徴的だ。法律や権利関係を学ぶ主人公に対し、教団は人間の心理を通して財産を動かそうとする。
結局、不動産を動かすのは法律や契約だけではなく、そこに暮らす人間の感情や欲望でもある。
財産を動かすのは、結局のところ人間である
キム・ソングク監督は、実際にヴィラで暮らした経験があり、駐車場の問題など日常の些細なトラブルから着想を得たと語っている。
また、監督によれば、この映画は特定の異端宗教を描くことだけが目的ではなく、現実の生活のなかで人々が何かに惑わされることを主題としているという。
そう考えると、『邪教団地』という作品は、私たちが何を信じ、どのように判断し、何に未来を委ねるのかという、より広い問題を描いているように思う。
不動産は法律によって権利が規定され、価格によって価値が測られる。非常に合理的で、制度的な世界に見える。
しかし、そこに暮らす人間の感情、家族との関係、隣人との対立、将来への期待、そして信仰によって、その価値も意味も変わってしまう。
「団地の福音化」とは、なんとも滑稽で、恐ろしい言葉である。
けれども、この映画で描かれる最も恐ろしいことは、宗教団体が不動産を奪おうとすること以上に、住民たちが自分の意思でそれを差し出そうとしてしまうことなのかもしれない。
都市開発でも、宗教でも、あるいはもっと身近な共同体でも、周囲の人間がみな同じ方向を向き始めたとき、自分だけが立ち止まって考えることは難しい。
しかし、本当に守るべきものを手放すときほど、そうした集団の熱狂から距離を置く必要があるのではないだろうか。
所有権を奪うために、まず人間の意思を奪う。
荒唐無稽なカルトホラーのようでいて、これほど現実的な不動産の恐怖も、なかなかなく非常にユニークな作品だった。


