東京都現代美術館で開催中の《Correspondences》展を訪れた。Soundwalk Collectiveとパティ・スミスによるこの作品群は、詩と音と映像を編み込みながら、記憶と自然と死とを静かに往還している。原発事故の森、焼け跡の木々、呼吸のような音。そこには物語ではなく、「気配」があった。
展示の核となるのは、10年以上にわたりフィールドレコーディングを重ねてきた旅の記録だ。単なる自然音ではない。そこには「場」がある。風のざわめき、靴音、微細な反響。その一つひとつが、風景というよりも、風景が“存在していたこと”の痕跡として響いていた。
ふと思い出したのは、かつて自分が撮った映画のことだ。ディストピアを描くつもりで日常の環境音を重ねたところ、なぜか牧歌的に聞こえてしまった。それが面白くて、結局すべて人工音で組み直した。日常の音が“幸福”を語ってしまうことに気づき、妙な切なさとありがたさを感じた。その経験が、今回の展示と静かに重なった。
しかし同時に、私は展示空間である「美術館」という存在にも意識を向けざるを得なかった。空調のきいたホワイトキューブで、ブランドバッグの来場者に囲まれながら「痛み」や「喪失」を鑑賞するという行為は、ある種の高みの見物にも感じられた。入場料は1,800円、やや高めの設定だ。生活に余裕のない人が、こうした展示に関心を持っても、たどり着けないかもしれない。そのことにもどこかで悔しさを感じていた。
とはいえ、日本でも障がい者や高齢者への入場料の免除制度はきちんと整っているし、東京都現代美術館でも該当する人は無料で展示を見ることができる。
ただ、それでも“行ける人”と“行けない人”のあいだには、目に見えない格差が広がっているように感じた。たとえば、今の若者は本当に余裕がない。学費、家賃、バイト、将来への不安……生きていくことそのものに精一杯で、1800円のチケットはハードルとしては十分に高い。金銭的な問題だけでなく、「そんなことに興味を持てるほど心が自由じゃない」という状態に追い込まれている人も多い。
とはいえ、国や会場によってこの展示のアクセス性は大きく異なっていたことも忘れてはならない。ニューヨークのkurimanzuttoギャラリーでは入場無料で展示され、誰でもふらりと立ち寄れるようになっていた。一方、アテネでは一般チケットが50ユーロという高額設定だったが、その代わりに失業者や障がい者、近隣住民向けには5〜7ユーロの特別料金が用意されていた。展示側も「痛み」や「社会的問い」を扱うことの責任として、アクセスの公平性を意識した工夫をしていたのだ。
こうした事情から、批評の中には「社会的メッセージを掲げる作品を富裕層が集う美術館空間で高い料金を払って鑑賞する構図」への違和感も散見される。実際、1970年代パンク文化を回顧する美術展が高級志向で行われた際にも「パンクをギャラリーに持ち込めば本来の精神が損なわれる」との抗議が起きた経緯があり、同様の批判が本展にも潜在していると言える。
観客を魅了する一方で、あまりにも映像や音響が美しく作り込まれているために「悲劇や危機さえも消費可能なアートの素材にしてしまっているのではないか」という懐疑も招きうる。実際、本展ではピエル・パオロ・パゾリーニ監督の映画映像やタルコフスキー作品の引用、美しい詩的ナレーションが駆使されており、鑑賞体験は非常に感覚的・美学的だ。そのスペクタクル性について、現代美術誌は「ポンピドゥーも壮大でスペクタクルな展示として“Evidence”を位置づけていた」と報じており、壮麗な演出がテーマの緊迫感を和らげているとの見方もある。要するに、社会問題を扱うアートとしての批評性と、観客を惹きつけるパッケージとしての美的魅力とのバランスに対して、一部には疑念が呈されているのである。
パティ・スミスはパンクの象徴でもあるが、そのスピリットと「パッケージ化された美しさ」の間には、どうしても緊張がある。だが、だからといって、この展示を否定する気にはなれなかった。むしろ、この「きれいすぎる展示」を前に、私が違和感を抱けたことこそが、展示が投げかけた問いへの返答だったのかもしれない。展示とは、ただ提示するだけではなく、観客の感覚を揺らす装置でもあるのだから。
Correspondences──応答。それは、遠くの誰かの詩に、あるいは森のざわめきに、今ここで私たちが応えること。その行為自体が、いまの私たちにできる最も素直な対話なのだと思う。
参考文献・出典:
Hyperallergic.com 「When Punk Meets the Gallery」
Brooklyn Rail 「Patti Smith and Soundwalk Collective: Correspondences」
Flash Art Magazine 「Evidence and the Spectacle of Memory」
展示情報:
展覧会名:Correspondences(コレスポンデンシズ)
会期:2025年4月26日(土)〜6月29日(日)
会場:東京都現代美術館 企画展示室 3F
開館時間:10:00〜18:00(最終入場は閉館の30分前まで)
休館日:月曜日(祝日の場合は翌平日)
観覧料:一般1,800円 / 大学生・専門学校生・65歳以上1,200円 / 中高生600円 / 小学生以下・障がい者手帳保持者および付き添い2名まで無料
詳細:
https://www.mot-art-museum.jp